Youtube の動画のコメント欄を見ているとノンコンタクト格闘技(伝統派)🆚直接打撃格闘技(フルコン、キックボクシング、ボクシング)または流派の競技ルールを巡って熾烈な舌戦が繰り広げられているのをよく目にします。
伝統派空手は直接相手に打撃を加えてダメージを与えることを考慮に入れてないから肘が伸びきったまま相手にパンチを加えている、極端に突進しながら攻撃を加えるためテイクダウンが取られやすいという欠点や、フルコン空手は顔面攻撃をルールに盛り込んでないので、組み合う間合いでど突き合いが行われるためキックボクシングや総合のルールに極めて不利だという欠点をあげつらって、どの流派、競技が強いか弱いかの論調に終始しているコメントの応酬が非常に多いのです。
素人のコメントのやり取りと言えばそうなのですが、ただこの格闘技に対する論調、認識はyoutubeのコメントでも欧州、欧米のそれと日本とは少し考え方が異なります。日本人はとにかく一つの空手の流派や格闘技のスタイルを支持したら基本的にそれ一本を極めるというスタイルです。そして特に修行を進めて行く上で他流派の技術に対して排他的になるという特徴がある気がします。
一方で欧州、欧米の格闘技に対する考え方は、一言で言えばいいとこ取りです。各格闘技、武術にはそれぞれ歴史的に生まれた背景を考えると、現代の格闘競技のルールの枠に合わせるには欠点もあるし、利点もあるという風に考えています。そのため現代の格闘競技のルールの中で合理的に勝てる技術のみを様々な格闘技から取り入れて自分オリジナルの技術を身につけるというのが一般的な考え方です。
特に欧米における総合格闘技界ではこの考え方が顕著ですが、キックボクシングやボクシングでも同様にムエタイ、テコンドー、伝統空手、サンボなどを同時並行して練習している選手は割と普通にいますし、打撃系のジムにはキックボクシングのプロ選手を輩出しているが、キックボクシング以外の様々な武道や格闘技のコーチを雇っていたりします。
このことについて総合格闘家の堀口恭司がリーボックのインタビュー記事で「日本とアメリカのトレーニングでは、どのような違いがありますか?」という質問に対してこう答えています。
練習環境にも大きな違いがあります。
日本では、ボクシング、レスリング、柔術など、それぞれの技術を学ぶ場所が別々にあるため、学んだことをどう組み合わせ取り入れるかは自分で考えなくちゃいけないし、移動も時間がかかる。
でもアメリカでは、いろんなジャンルのコーチが一つのチームに所属しています。アメリカン・トップチーム(ATT)では選手約40名に対して、異なるジャンルのコーチが十人くらいいるんです。
チームのジムに行けばそれぞれの技術指導を受けることができますし、コーチ同志がコミュニケーションを取っているので、選手に一番良い方法を考えてくれます。コーチ自身もどんどん新しい技術を身に付けていますし、良いことはどんどん取り入れよう、そんな気持ちで指導をしてくれます。
プロの選手にとっては、自分のスタイルに合ったコーチとの出会いはとても重要ですね。
日本と欧州、欧米、その他の国ではこうした考え方の違いがyoutubeのコメント欄に如実に現れています。
ここからは私の私見ですが、強い、弱いという価値観は極めて主観的なものでその捉え方は個人個人によって異なりますしまた流派によっても異なります。ただyoutubeでのコメントで指している格闘技流派の強い、弱いという価値観は競技の中で極めて実践的なルールを運用している格闘技の試合に批判対象の空手流派ないし格闘技が通用するのかどうかと言った観点だと思います。
その考え方で行くと私もその流派一筋で修行してきた人がルールの違う格闘競技において技術が通用するのは難しいと思います。なぜならそのルールに対応した技術を持っていないし練習をしていないからということにつきます。
仮に全空連のトップ選手がUFCの大会に出たとしてもUFCの試合についてなんの準備も行わないまま初戦を掻い潜るのは針の穴に糸を通すより難易度が高いと言わざるを得ません。当たり前のことです。
しかしこうした「ある流派が、実践的な試合の場で通用するかどうか」という疑問の前提条件や背景は極めて一義的です。また「強さ」の批判対象が「人」ではなく「流派」になっている点も非常に矛盾しています。
選手には様々な選択肢があり、いくつもの空手流派を掛け持つこともできますし、一つの流派にとらわれず自分の格闘技のスタイルを自分自身でカスタマイズすることも可能です。
そう考えると「流派」による強い弱いは極めて不毛な議論です。もしその流派の技術がある実践的で総合的な格闘技の試合において欠点となるのであれば封印して生かせる部分を生かせばいいし、逆にその流派にはない必要な技術があれば新たに格闘技を学んで足りない技術を取り入れればいいだけの話です。
「競技のルール」によって生かせる技、生かせない技が出てくるというのは当然の話です。「実践的なルール」で試合をしたければそのように自分の持っている技術を変化させていく必要があります
ということで私はどちらかと言えば欧米や欧州の方々の格闘技の論調に分があるともいますし、私はこちらの方を支持していますし、結局強いかどうかの論議は「人」を対象にしなければ意味がありません。